上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
まず狩人の理想について。
それは吊られず、噛まれず、占われずの3点を満たすことである。
これについては
得票コントロールも参考にしていただきたい。
ただし得票コントロールとは決定的に違う点がある。
狩人は何よりも、生存することが最優先なのだ。
この点を意識しつつ、狩人のムーブについて語っていこう。
1.狩人臭を出さない
これは言うまでもない鉄則であろう。
吊られず、占われずを満たしても、噛まれては意味がない。
ポイントは必要以上に占い師へ話しかけないこと。
占い師の真贋を最も知りたいのは狩人だからだ。
また死体無しが発生した時、狩人にはそれが狐かGJか分かる。
だからこそ死体無しの朝は平然と振る舞おう。
村視点では分からないことを、確信的に話してはいけない。
自分が持っている情報は、自分だけのものとして秘匿すべきなのだ。
2.狩人日記を整える
狩人だから狩人日記を書く。ここまでは誰でもしているだろう。
問題はたまに見辛い日記を書く人がいることだ。
狩人COした者が1人だけならば問題はないかもしれない。
だが対抗COが発生した時が問題になる。
見辛い日記と、見やすい日記。どちらが真狩人に見えるだろう?
印象論でしかないが、見辛い日記は慌てて書き上げたように映る。
狩人COは最後の切り札なのだから、できれば鮮やかに信用を勝ち取りたいものだ。
そのため日記は内容だけでなく、見栄えにも気を払っておきたい。
1日単位でしっかり改行し、護衛先と結果も一目瞭然にする。
発言引用はなるべくせず、己の思考とその日の出来事を記録する。
夜の時間は豊富にあるのだから、日記の質を上げておいて損はない筈だ。
3.序盤の暫定○を利用する
序盤の暫定○は余程のことがなければ、まず吊られない。
そのため暫定○を殴れば、どんなに疑っても村の不利益にはならない。
これを利用して、村視点では「考えている者」だと偽装する。
もちろんトンチンカンな疑いを向ければ、自分が危うくなってしまう。
そこで様子見程度の軽い殴りや、発言の意図を確認するような殴りを行うのが望ましい。
ただし占い師騙りの○では、狼に警戒されて噛まれる恐れがある。
だからこそ、ここでは自分が真だと思う占い師の○を殴るのだ。
成功していれば噛みリスクは格段に下げられる。
狼視点ではミスリーをしている上に、真占い師の信用を下げている貴重な人材だ。
狼に狩人か否かを判断させるのではなく、利用価値があると見られよう。
ややリスクはあるが、有効な一手である。
4.自分に○が出た場合
暫定○になった時点で、噛まれる可能性は跳ね上がる。
だからといって、ここで気配を消すように動くのは狩人臭い。
ならばいっそのこと、前に出て発言するのもいいだろう。
噛まれる危険性が大きく変わるわけではないが、狩人と見ての噛みは減らせる。
重要なのは、狩人はその存在自体がプレッシャーになる点だ。
噛まれる位置になってしまったのなら、狩人に見えない偽装工作が有効になる。
こうしておけば噛まれてしまっても、狼視点では狩人候補が残る場合がある。
直接的な護衛だけでなく、存在を武器にして牽制するのも大切な役割なのだ。
5.護衛先の選び方
これには個々の好みがあるので一概には言えない。
だが狩人の役目は、噛まれてはならない者を守ることだ。
積極的にGJを狙うよりは、占い師に張り付く方がいいだろう。
しかし私は、3-1の初日だけは冒険をしてもいいと考えている。
昼の会話をよく見て、狂人の囲いが発生したかどうかを考える。
その上で囲いがないと思えるのなら、変態護衛のチャンスだ。
発言数が平均からやや少なく、冷静な意見を出している者が狙い目だろうか。
初手で狼の出鼻を挫ければ、面白いことになる。
だが占いCOした者の発言を洗い、真が確信できる場所があればそこを守った方がいい。
噛み切り覚悟で即抜きしてくる狼もいるのだし、真が噛まれる危険は常にある。
だからこそ真が見えた時は、安全策として占い護衛がいいだろう。
なお占い師が生存していようとも、霊能を護衛した方がいい場面がある。
それは霊能者が●を1つ出した後で、占い師の●を吊った時だ。
特に狐の生死が不明な時は、この情報がとても重要になる。
真の●であったならば、狼は追い詰めたも同然である。
偽の●で、かつ真占い師が抜かれても、ロラでLWにできる可能性が高い。
狐の生死が不明なればこそ、確定情報を増やすべき場面だということになるのだ。
……とはいえ、これはあくまで私好みの考え方である。
真占いさえ生きていれば勝てる、それも間違いではない。
状況にもよるので、何を優先するかはその場で考えてもらいたい。
さて、人の参考になるのはこんなものだろうか。
細々としたものなら他にもあるのだが、主観が強くなり過ぎるので割愛する。
客観的な理論にできないものは、理論にあらずと私は信仰しているのだ。
では今回はこんなところで。皆様、良き人狼ライフを。